楽園
メンソールの煙草を持って
小さな荷物で
楽園に行こう
楽園に行こう
大きな船で
僕らは大事な時間を意味もなく削ってた
「なあなあ」のナイフで



「万里、万里、ちょっとぼんやりして……どうしたの?」
「ぼんやり……?違うの、ちょっと考え事」
万里は、ゆっくり首を振って答えた。万里はよく、ふとした瞬間に考え込む癖がある。悩み事があるというわけではない。ただ、自分の思想を確かめるというか、内面を掘り起こしているというか、とにかくどうでもいいような事を考えてしまう癖があるのだ。
そのせいで、というわけではないだろうが万里は、よく人とは違った思考方法を持っている。
「和哉さん、まっているよ……行ってあげたら?」
ふと、店の入り口を見ると和哉がいごこち悪そうにきょろきょろしながら立っている。
「でも……レジ」
「私が代わっておいてあげるよ。どうせこの本屋、お客少ないから」
気の優しい友人の言葉に甘える事にして、万里は足早に店の入り口に向かった。 和哉は近づいてくる万里に気がついたのか、右の口の端をきゅっとあげた。
「どうしたの?……こんな時間に」
時刻はうららかな昼下がり、普通の社会人がふらふらとうろついている時刻ではない。
「ん……イギリスに録音しに行くから、しばらく会えないでしょ?顔を見て置こうと思って」
「どのくらい?」
「一ヶ月ぐらいかな。ね、今出れる?」
万里がレジのほうを振り替えると、行ってこいという表情をした友人が手を振っていた。
「大丈夫」
万里はエプロンを外してレジの机に置く。和哉はその肩を抱いて外に出ていった。


「あのさ、……こんどのアルバムね、俺、……いいのが書きたいの……いつもそうしてるけどさ、……そうじゃなくて……」
自分の気持ちがうまく伝えられないもどかしさから、万里の肩を抱く手に力がこもる。
「頑張ってね」
万里はあえて、平凡な返答を返す。
「うん、ありがと。それで、……万里」
ここで一呼吸置いて、和哉が深く息を吸い込んで吐き出した。
「一緒に、イギリスに来てほしいんだ」
真剣な目で万里を覗き込む。
しかし、万里の瞳には嬉しそうな表情はない。 無表情だ。とてもプロポーズをされた人間のする顔ではない。
「……そう、悪いけど。私はイギリスに行かないわ」
「え?……俺の事嫌いになったの?」
「結婚はしないと決めているの。あなたのそれは、プロポーズよね」
万里の口調が淡々としたものに変わる。
「……そう、分かった……」
和哉は酷く沈んだ表情と声で返事を返しながら、万里を抱いていた手を放した。 上着のポケットに手を入れて、万里の視線から避けるように顔を背けた。
「さようなら」
万里はいつものやさしい口調になって、元来た道を戻り出した。万里は一度も振り返らずにその場を去っていった。それが、彼女のプライドだった。
もう、2度と会う事はないだろう。
これでいいと、万里は思った。


「ね、万里、和哉さんと別れたって本当?」
「耳が早いのね、本当よ」
本を棚に入れながら、万里が答える。 あの日から2週間が立った。
今ごろ和哉はイギリスで録音しているはずだ。あの日は落ち込んでいただろうけど、今はきっと立ち直っているに違いない。万里は和哉の思考をそうシュミレートしていた。
「なんで?」
「飽きた……なんていったら、怒るかしら?」
「だって、飽きるも何も。あなた、男遊びなんてしてないじゃない」
「ふふ……冗談よ……そうね、本当のところ私は……ううん……なんでもないわ」
万里はこれ以上話たくないというように、首を振った。
本当は、パートナーなんか必要ないと思っているからだ、といったら他の人はなんていうだろうか。
強がっていると思うだろうか?何に強がっているのか?それは、わからない。 自分が完璧であるなら、他人の入り込む余地はない。それはつまり、パートナーなんか必要ないという事ではないだろうか。
万里は和哉と知り合いになるまで恋人を作った事はない。それまで、他人には興味なかった。どういうわけか、和哉には興味を持てた。ようやく他人に興味が出てくるほど馬鹿になったという事だろうか……。
和哉と付き合い出した当初はそう思っていた。
和哉は頭の回転は遅いが指向性は卓抜していた。決断力は弱いけど、客観力は抜群だった。それが、万里の興味を引いた。
ただ、それだけだった。


「あーっ、もう、……頭……ぐちゃぐちゃで……何がいいたいのか……」
和哉はデモテープの曲をテープレコーダーで流しながら、詩を書いていた。でも、何が書きたいのか分からない。
この間の事がずっとひきずっている。まだ、心の整理ができない。
OKをくれるものだと思っていた。 ついさっきまで、愛しそうに自分の事を見返していてくれていたと思ったのに、プロポーズをしたとたん、初めて会ったときのガラスの瞳に戻っていた。
愛し合っているというのは幻覚だったのだろうか。
『結婚しないと決めているの』 彼女の言葉が脳裏に蘇る。
なにか、そう決心させることがあったのだろうか。 おもえば、彼女がどういう人生を送ってきたのか全然知らない。知っているのは、名前と勤め先と、誕生日と、血液型と……携帯の番号。
万里の事が頭から離れない。 時折話し出す、哲学じみた話とその後に見せる消えそうな笑顔と、自分の話すくだらないギャグや冗談をやさしい笑顔で笑ってくれる万里の顔が次々と浮かんで消えていく。
もう一度、声が聞きたかった。
声が聞きたくて、どうにかなりそうだった。
「おまえ、万里ちゃんには連絡とったの?」
あきれたような口調で英昭は和哉の背中に声をかけた。
「……とっていないよ……怖くて、取れないんだ……俺、捨てられたみたいだし」
和哉は振り返り、捨て猫のような表情をして英昭に返答した。
「他の男に取られるのを黙ってみているわけ?おまえは……」
「それは……」
「万里ちゃん、結構かわいかったよね。……俺、あの娘もらってもいいかなぁ」
「駄目だよ!たとえ、エマさんでも、万里は駄目だ!」
和哉は身を乗り出して反論する。
「そこまで分かっていて、おまえ、なにやってるの?……締め切りまでに作るのはプロだけど、品質の低いものを作るのはプロとして恥ずべきことだよ」
英昭はそういって、きびすを返した。
出て行くときに胸ポケットから煙草を取り出して、片手を軽く揚げて部屋から出た。
「分かっているけど、……万里に電話して……そのあと、俺は?」
本当に駄目だったら、どうするんだ。 自問してみても答えは出ない。

「万里ちゃん、フリーなんでしょ?今夜食事でもどう?」
バイトの青年が、帰り支度をしている万里の後ろ姿に声をかけた。
万里とこのバイトの青年は同じ年だった。たいして親しい仲でもないのに、気安く声をかけてくるこの青年が万里は嫌いだった。
「……忙しいから、遠慮しておく」
「忙しいって、彼ともう別れたんだろ?……ね、一回ぐらいいいじゃん」
どうして彼と別れたら他の男と付き合ってやる理由になるのだろう。今までもそうしてきたように、これからも一人でいたいのに。
バイト青年が、何か言おうと万里の肩をつかんだとき万里のバックに入っていた携帯が鳴り出した。万里は青年の手を振り払いバックから携帯を出した。
「あの、俺だけどさ……」
「どちら様?」
万里は自分が機嫌が最高潮に悪い事を自覚した。相手が誰だか分かっているのに、わざわざ問いただすだなんて。非効率的で感情的な行動だった。
電話口で相手はため息を吐いた。
「俺、和哉。万里、いま……時間いいかな?」
万里の瞳が一瞬だけ揺れる。すぐに何でもなかったようにまりは返事を返した。
「悪いけど、和哉さん……あたし、…」
すべて言い切らないうちにバイト青年が横からまりの携帯を引ったくった。
目を見開いて驚いた万里は、バイト青年が電話口の相手と話し出すのをぼんやりと見ていた。
「しつこく電話してくるなよ。万里ちゃんはこれから俺とデートなんだから」
バイト青年は一方的に携帯を切った。
善行をしたものの余裕のある笑みを見せ付けながら万里に携帯電話を返した。 万里はそれを黙って受け取ると、リダイヤル機能を使って電話をかけた。
てっきり、飛び切りの笑顔とお礼の言葉を言われると思ったバイト青年はあたふたと万里に問い詰める。
「どうしてかけ直すのさ」
「話は聞いてあげるつもりだから」
「あいつがしつこくて迷惑してんじゃないの?」
「これが、初めての電話よ。……付き合い始めてから別れるまで、あの人が始めて私の携帯に電話をかけてきたの」
青年は万里の言葉に沈黙で答えた。
恋人同士なのにほとんど連絡を取り合わないなんて異常過ぎる関係だ。
「ああ、さっきはごめんなさい。とんだ邪魔が入ったけど。……うん。私、これから家に帰るから、家に着いたら……ええ、そうする。……うん。じゃ、あとで」
万里は携帯を切るとバイト青年の横を摺り抜けて、本屋を後にした。



「万里、……もう一度、聞いて欲しい……こっちに来ないか」
「電話切るわ」
「待って、そうじゃなくて……俺と暮らさないか?嫌なら、籍も入れない」
「同棲ってこと?」
「君がいないと……駄目なんだ。何をかいたらいいのか分からない。曲も、詩も」
「私が一緒にいればどうなるの?」
「1+1が、100以上になる」
「おもしろい事を言うのね、その思考トレースできなかった・・・・・・」
「万里、明日一番に万里を迎えにいく・・・・・・今すぐにでも攫いたいぐらいなんだ」
「嘘つかないの。あなた、今はイギリスではないわ。・・・・・・その音・・・・・・空港ね」
万里は耳を澄まして、和哉の背後に聞こえる物音を聞き分けようとする。
がやがやとした話し声のほかに、日本語のアナウンスが聞こえた。
「成田空港に来ちゃってるのね・・・・・・」
沈着冷静な万里が、あきれたような声を出した。
「後2時間で、万里を迎えにいくよ。・・・・・・いやがっても攫っていくから」
冗談めかしていった和哉の言葉に万里は笑い出した。
「やさしくしてね」
万里の言葉の後に、電話口の向こうで嬉しそうに叫ぶ和哉の声がしていた。


君が望むのならば みだらな夢もいいだろう
掃いて捨てるほど愛の歌はある
過去は消えないだろう 未来も疑うだろう
それじゃ悲しいだろう やるせないだろう
いつか、僕らは大人になりふけてゆく
MAKE YOU FREE 永久に
蒼く…………